近代の戦争は子どもたちを否応(いやおう)なく巻き込んでいく。「少国民」と呼ばれた昭和の戦時下の子どもたちの学校生活はどうだったのだろうか。児童読み物作家の山中恒さんは、「教師は生徒をよく殴り、学校は軍隊のようになっていった」と体験を語る。
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日中戦争、太平洋戦争下に小学校(国民学校)に通いました。「皇民化教育」で教えられたのは、天皇のために、いかに潔く、美しく死ぬかということでした。当時の子どもたちは「少国民」と呼ばれました。そこには、子どもであっても大人と同じように国民として自覚し、天皇のために尽くせ、という意味が込められていました。
学校は、だんだん軍隊のようになっていきました。運動会で男子は木刀、女子は、なぎなたを手に「エイエイオー」と叫ばされました。
徴兵された若い兵士が上官や先輩のしごきに耐えかねて自殺するということがありました。そこで教師は、「そうなれば自分たちの恥だ。軍隊で叩(たた)かれても平気な人間になるように今から鍛えておく」と言い、よく殴りました。
理由は、集合時間に遅れた…