浜井順三さん=広島市佐伯区、上田潤撮影

 戦後80年の夏、被爆地「ヒロシマ」として世界に知られた街から、今つむがれる声に耳を傾けてほしい。「原爆市長」と呼ばれた父を持つ浜井順三(じゅんそう)さん(89)は、「親父(おやじ)に背負われてきた人生だった」と語る。その言葉の真意、そして彼が伝えようとする「ヒロシマの原点」とは――。

 ――父の信三氏(1905~68)は、戦後の47年に初めて公選で選ばれた広島市長で、後に「原爆市長」と呼ばれました。

 「父は被爆当時、市の配給課長でした。奇跡的に生き残ったからこそ、広島のために自らの人生を捧げようとの気持ちが強かった」

 「私は原爆投下の3週間後、集団疎開先から広島に戻りました。75年間は草木も生えないと言われた廃虚の中を、父の後ろについて歩いた記憶があります。父は『こんなことは地球上で二度と起こしてはならない』『何としても広島をよみがえらせる』と、幼い子どもに聞かせようとしたのか、独り言だったのか。そのつぶやきが今でも忘れられません」

 「絶望的な状況から人々が立ち上がり、広島の復興は始まります。父や先人の意思を引き継がねばとの思いは、父の死後に強まりました。一生親父(おやじ)に背負われてきた人生といいますか」

 ――「親父に背負われてきた人生」ですか。

 「私は大阪の会社に9年勤め…

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