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最近かかった医療機関で、女性はPTSDと診断された=東京都内、井手さゆり撮影

 子ども虐待や性暴力を長年取材してきた記者が出会った40代の女性は、実父の子ども2人を産まされたと明かした。いまでこそ子どもへの性暴力や性虐待に対する認識は少しずつ高まっているが、女性が子どもだったのは、まだ児童虐待防止法(2000年施行)もできていない時代だ。

 犯罪白書によると、2023年に児童虐待にかかわる事件で、不同意性交罪で検挙された「父親等」(実父や継父、養父、母親の内縁の夫らを含む)は150人いたが、20年前の2003年は、現在の不同意性交罪に相当する強姦(ごうかん)罪で検挙された「父親等」は6人しかいなかった。

 最近になって発生件数が急増したというより、20年前は社会がほとんど対応していなかったと見るべきだろう。

10代で実父の子ども2人を産まされた40代の女性。どこかで、だれかが、彼女に救いの手を差し伸べることができなかったのでしょうか。彼女のような体験を繰り返させないために私たちは何ができるのか、専門家に聞きました。

 この女性が、家庭内暴力(DV)や虐待の被害者などを加害者から守るために行う「支援措置」を申請したり、警察に告訴状を出したりするのを手伝ってきた弁護士は「一人の法律家として力不足を感じている」と振り返る。

 弁護士は、児童相談所が女性に直接連絡をとらないよう、間にも入ってきた。「児相は事務的だった。警察も父からの性暴力を事件化できずにうやむやにした。こんなに反倫理的、反法律的なことが放置されているのは本当にひどい」と胸の内を語った。

当時の児童相談所「記録は廃棄」

 一方、子ども時代の女性や女性の娘たちを担当した都内の児相は、朝日新聞の取材に対して「当時を知っている職員はいない。児相としては、何も答えられない」と回答した。児相がかかわった子どもたちの記録の保存期間は25歳までだとして、女性の記録はすでに廃棄されたとする。娘たちの記録について尋ねると、児相は「個別のケースについては何も言えない」と繰り返した。

 2003年から福岡市児相の所長を18年務めた精神科医で、現在は西日本こども研修センターあかし(兵庫県明石市)の所長を務める藤林武史さんは、「残念ながら、この女性に起こったようなことは、当時であれば、ほかにも起こりえただろう」と話す。児童虐待防止法の制定以前は、社会では虐待について十分に周知されておらず、児相の専門的な対応や介入が不十分だったとする。

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福岡市児相の所長を18年務めた精神科医で、現在は西日本こども研修センターあかし(兵庫県明石市)の所長を務める藤林武史さん=兵庫県明石市、小杉豊和撮影

 特に、生まれてくる子どもの父親が誰か分からない状態では、「当時は児相が家庭にそれ以上に踏み込み、女性を保護するのは難しかったのかもしれない。いまなら、別の切り口で、適切な保護や介入ができていただろう」とも言う。父親を明かさなくても、14歳で妊娠・出産する家庭環境が、子どもにとって安全な環境でないと判断されるのであれば、保護の対象になるというのが現在の一般的な考え方だ。

 その上で、藤林さんは、子ども時代にケアやサポートを受けることがないまま大人になって生きづらさを抱えている人たちが大勢いること、そして、彼ら彼女らを、社会がどうサポートしケアしていくのかが課題だとした。「この女性には健康で幸せな人生を送ってほしい。公的な支援はもちろん、この女性の過去と生きづらさを理解し、今後、力になってくれる人たちと出会えることを心から願う」

「氷山の一角では」

 一方、性暴力や性虐待の問題を長年手がけてきた弁護士の杉浦ひとみさんは「父親がやったことは性虐待で、これを放置同然にした児相のかかわり方は大きな問題だ」と語る。

 杉浦さんは「親子関係をどう扱ったらいいかの権限を持っていたのは児相。厳しい言い方をすれば、児相が虐待を幇助(ほうじょ)したとも言える」と指摘する。女性や女性の姉だけでなく、「孫」にあたる、いま10代半ばの女性の姉の娘2人への虐待の可能性もあると見る。過去のこととするべきではないとして、「こども家庭庁が第三者委員会を設けるなどして調査、検証をして、今後に生かすべきではないか」と提案する。

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弁護士の杉浦ひとみさん=東京都内、大久保真紀撮影

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 弁護士で、セラピストでもある小竹広子さんはこの女性の事案は「氷山の一角ではないか」と話す。小竹さんが代理人を務めた事案で、児童養護施設で生活していた10代のときに、実父から面会のたびに性交を強いられた女性がいたが、父親が刑事責任を問われることはなかったという。

 記事で紹介した女性については「精神的な傷はいまも深い状態だと思う。治療を受けるとともに居場所を持ってほしい」と気遣った。

 過去のこととはいえ、当時の児相の対応には首をかしげる。「女性は大人に対して信頼感をなくしていたのだろう。児相や児童養護施設に信頼できる大人がいれば、違う結果になったかもしれない」と小竹さんは言う。

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弁護士の小竹広子さん=東京都内、大久保真紀撮影

「みんな知っていたはずだ」を繰り返さない

 2023年度に全国の児童相談所が対応した性的虐待事案は2473件。対応件数は年々増加しているが、虐待全体に占める割合は1・1%に過ぎない。児相職員の研修などを担う「子どもの虹情報研修センター」(横浜市)が公表するデータによると、欧米などでは、性虐待の占める割合は3~10%だ。日本では、性虐待はまだまだ相談できずにいる人が多いのではないか。

 誰か一人でも真剣に女性に向き合う大人はいなかったのだろうか。女性は「(実父による性暴力を)みんな知っていたはずだ」と語っている。

 あるいは、彼女が悩みや苦しみを打ち明けようと思える大人の存在はなかったのだろうか。彼女の絶望を考えると、胸が痛い。「社会にも行政にも何の期待もしていないし、希望もない」と言う女性の姿は、そう思わなければ生きてこられなかったということの裏返しだと感じる。せめて姉と姉の子どもたちの安全を確認することができないだろうか。

 社会として私たちは、女性の問題は自分とは関係ない、過去のことだと言い切ることができるだろうか。いまも性虐待を相談できずにいる子どもは少なくないはずだ。児童養護施設、学校、役所、児相、医師、警察など、子どもにかかわる専門家たちは、自らが、女性のような境遇にある子どもから話をしてもらえる存在であるかを、いま一度考えてみてほしい。

性暴力や思いがけない妊娠の相談先

・性犯罪・性暴力被害者のためのワンストップ支援センター全国共通無料相談電話 #8891

・性暴力についてのSNS相談「キュアタイム」(内閣府)https://curetime.jp/

・児童相談所虐待対応ダイヤル 189

・全国のにんしんSOS相談窓口 https://zenninnet-sos.org/contact-list別ウインドウで開きます

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