第2次世界大戦中、日本軍と戦った米兵の一部は、日本兵の遺品である日章旗を「戦利品」として故郷に持ち帰った。
それから80年近く。米国の遺族らが、日章旗を「平和の象徴」として日本の遺族に返すケースが相次いでいる。
香川県観音寺市の市役所大野原支所で5月23日、米国から届いた日章旗の返還式が開かれた。
「突然でびっくりしましたが、ずっと持って頂いたことに感謝です」
受け取った同市の成岡義一さん(67)は、緊張気味に語った。
一般財団法人日本遺族会(東京都)などによると、日章旗の元の持ち主は、義一さんの叔父、成岡明さん。
日米両軍が死闘を繰り広げ、日本兵だけでも約50万人が亡くなったフィリピン戦に参加し、1945年5月20日、ルソン島マニラの東方山地で戦死した。23歳だった。
79年の歳月を経て故郷に返った日章旗は、縦20センチ、横30センチほど。「祝出征」の墨書きとともに、勤務していた会社名とみられる「大林組」の文字と約20人の名前が記されていた。明さんが戦場でも手放さなかった遺品と見られる。
米遺族「あなたとご家族の心に安らぎを」
返還式では、保管していた米兵の遺族の手紙が披露された。
父が元米兵だった米アイダホ州のボブ・ブルーイントンさん。日章旗は父が戦場から「戦利品」として持ち帰り、ブルーイントンさんが長年大切に保管していたという。
「父は戦争についてあまり語…