第107回全国高校野球選手権大会に千葉代表として出場する市船橋。9日に予定される初戦で、海上雄大監督(43)と野田和宏部長(35)は18年ぶりにそろって甲子園での戦いに挑む。2007年の第89回大会、海上監督は部長、野田部長は主将として同じ舞台に立っていた。
忘れられない思い出として2人が口をそろえるのは、当時の千葉大会準決勝での出来事だ。
責任感が強く、部員や指導者からの信頼も厚かった野田主将(当時)は、球場入り直後、ユニホームを学校に忘れたことに気づいた。このままでは試合に出られない。
焦る野田主将に
「(指導者に)言っても言わなくても地獄」。焦ってロッカールームとベンチを行き来していた。
様子がおかしいことに気づいた海上部長(同)に「どうした?」と声をかけられ、正直に話した。怒られるかと思ったが、部長は「大丈夫、間に合うから」。少し安心した。
ただ、当時25歳だった海上監督は「内心すごく焦ったが、動揺させまいと冷静に答えた」と振り返る。結局、学校に残っていたコーチがユニホームを届けてくれ、シートノックは参加できなかったものの試合には間に合った。
野田部長は「年も近く、話しやすい海上先生だから言えた。そうじゃなかったら言えなかったかもしれない」と笑う。
市船橋の野球部はこの年の4月、指導者が全て入れ替わった。それからの指導者は全員が卒業生。海上監督は「ターニングポイントだった」と話す。
海上部長らが変えた空気
野田主将率いる当時の3年生は、プロ入りした岩崎翔投手、山崎正貴投手などを擁して力のある代だったが、その力を発揮しきれていなかった。そんな時に指導者が入れ替わり、全員が市船橋の卒業生に。当時16人いた3年生一人ひとりと向き合い、部員の意見を尊重した。緊張感があった空気は和らぎ「より純粋に野球を楽しめるようになった」(野田部長)。そして、甲子園への切符を勝ち取った。
甲子園では、文星芸大付(栃木)相手に1回戦敗退だった。当時のチームの目標は「甲子園出場」。野田部長は、指導者になってからは選手に「甲子園は出て終わりじゃない」と何度も伝えている。今年のチームも、新チーム結成からの目標は「甲子園1勝」。当時の思いは現在のチームに引き継がれている。
海上監督はまた2人で甲子園のベンチに立てることを「運命」だという。互いの存在について、海上監督は「他のスタッフも含め、信頼という言葉で言い表せないようなチーム、ファミリーのような存在」。野田部長は「いつでも頼れる、困ったら海上先生」。固い絆で、まず甲子園での1勝を目指す。