女性のがんでは最も多い乳がん。その医療を牽引(けんいん)し、昭和医科大学病院ブレストセンター長などを務めた中村清吾さんが5月、亡くなった。68歳だった。乳がん患者のために、様々な新しい治療の確立に力を尽くした。近年は膵臓(すいぞう)がんで闘病していた。
中村さんは千葉大学を卒業後、聖路加国際病院で外科医としてキャリアをスタート。その後、米テキサス州立大MDアンダーソンがんセンターなどでも学んだ。
医師になった当時は、「ブラックジャック」のように手術が上手であることが価値とされた時代。だが、がんでは一定の患者は、手術が成功しても再発してしまう。
そうした中、米国で目にした、患者を中心に外科医や腫瘍(しゅよう)内科医、がん専門の看護師や薬剤師など様々な専門家が集まる「チーム医療」のあり方に感銘を受けた。日本でも採り入れたいと、2005年、聖路加国際病院に先駆的なブレストセンターを開設した。
「いい医療を日本へ 先見の明」
診療のあり方も大きく変えて…