ミャンマーの民主化指導者アウンサンスーチー氏(78)と国民民主連盟(NLD)を創設したティンウー氏が今月、97歳で亡くなった。国軍の最高司令官を務めた後、民主化運動に身を投じたまれな人物だ。「国民の架け橋」の死を嘆く人は数知れない。
5日午後、最大都市ヤンゴンの葬儀場は悲しみに包まれていた。
「政治的困難を切り抜け、NLDを創設した」「世代を超えて語り継がれるだろう」
NLD関係者がティンウー氏の功績をたたえた。参列した数百人の支持者や各国の大使館関係者が手を合わせ、こうべを垂れて、ティンウー氏に別れを告げた。ひつぎには赤い政党旗がかけられ、先に亡くなったNLD元幹部らと同じ敷地に埋葬された。
NLDが圧勝した2020年の総選挙で「不正があった」と訴えた国軍は翌年、クーデターでNLD幹部を次々と拘束。ティンウー氏は免れたが、スーチー氏は30年近い刑期が確定。首都ネピドーで拘束されたまま、体調の悪化が懸念されている。
22年にはNLD元議員のピョーゼヤートー氏らの死刑が執行され、NLDは昨年、国軍に政党登録も取り消された。
だがこの日の葬儀には支持者だけでなく、胸に政党旗のバッジをつけ、党の正装の上着をまとった党関係者が何人も姿を現した。民主化運動が国軍の弾圧を受ける今のミャンマーでは、極めて異例の光景だ。

国軍がNLD関係者の集結を事実上見過ごすのは、ティンウー氏が国軍にとっても「特別」な存在だからだ。
民主化に身を投じた、元国軍最高司令官。なぜティンウー氏は、異例とも言える路線変更を果たしたのでしょうか。背景には、国軍時代の「反省」があるとみられています。
ティンウー氏は10代だった第2次世界大戦時、スーチー氏の実父で「建国の父」と称されるアウンサン将軍率いる「ビルマ独立軍」に参加。同軍は現在のミャンマー国軍となり、ティンウー氏は1974~76年に最高司令官を務めた。だが失脚し、投獄も経験した。
88年、民主化運動に参加し…