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闘病から復帰した金光大阪の松本裕大選手=2025年6月2日午後6時46分、大阪府高槻市、渡辺萌々香撮影
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 久しぶりに打席に立ったとき、自分を包む仲間の声援に心が熱くなった。金光大阪の松本裕大(3年)は、生死に関わる病を乗り越え、この夏を迎える。

 野球部員が100人ほどいる金光大阪。松本は2年の夏まで、一度もベンチ入りメンバーになったことがなかった。

 新チームで最上級生になると、やっとメンバー入り候補が呼ばれる上位チーム入り。ただ、チームを鼓舞する役割だった。松本は「技術では貢献できないかもしれないが、自分は声でならナンバーワンだ」。練習中は誰よりも大きな声を出し、試合では三塁コーチャーとして、「声のプロフェッショナル」と評された。

 「次は実力でも選ばれたい」と意気込んでいた、そんな矢先の昨年9月19日の昼休みだった。

 午後1時ごろから体調が悪くなり、帰宅して体温を測ると38度。「薬を飲んで寝れば治るか」。気にも留めなかった。

 深夜にトイレに行こうとすると、感じたことのない頭痛がした。脚を動かせず、歩き方が分からない。翌日病院に行って体温を測ると41度。「そこにあるベッドに横になって、少し休もうか」。医師に言われて横になった途端、意識を失った。

 目を覚ますと集中治療室で、体にいろんな管がつながれていた。「あと数時間遅れていたら危なかった。細菌性の髄膜炎です」。医師から同時に告げられたのは、5割の人に後遺症が残ることと、完治までに動けば合併症を発症する可能性があること。これからという時に体を動かせない。言葉が出なかった。

トレーニングはできないけど…

 1カ月後に通学を再開できた…

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