優しく清らかな音色が会場の隅々まで染みわたる。奏者をじっと見つめる人、目をつむって聴き入る人、あふれる涙をしきりに拭う人。それぞれの思いが、去来する。

クローン病の闘病経験を語るさくらいりょうこさん。オカリナ演奏を交えた講演を続けてきた=2025年4月29日、大阪市、藤谷和広撮影

 オカリナ奏者のさくらいりょうこさん(59)は、闘病経験を語る合間に演奏をするスタイルで、全国で1500回以上、講演を続けてきた。

 消化管に炎症が起こる難病、クローン病と診断されたのは21歳のときだった。急にやせ始め、激しい腹痛に襲われた。医師に言われた。「一生治らないけど、死ぬことはない」

 大阪の音楽大学でフルートを専攻していた。2カ月の入院を経て卒業。パリへの留学が決まった矢先、腸に穴があいた。絶食治療は3カ月に及び、渡航は断念した。

すさんだ心

 だが、さくらいさんにはフルートしかなかった。必死につてをたどり、楽団に入った。休んだら、とって代わられる世界。熱も痛みも下痢も、がまんしてステージに立った。検査をすると、腸が細くねじれていた。緊急入院となり、最優先にしていた本番には臨めなかった。心はすさんだ。絶食中だったが、サンドイッチを食べた。あまりの痛みにのたうち回った。腸が破裂するほど悪化していた。

 すぐに手術をして一命をとりとめたが、半年ほど入院。人工肛門(こうもん)(ストーマ)の管理と度重なる脱水症状で気力も体力も尽き、フルートはあきらめた。大量の精神安定剤や睡眠薬を前に、「これを全部のんだら死ねるかな」と考えた。

 どん底のなか、阪神・淡路大震災(1995年)に遭った。神戸の自宅は半壊。被害がなかった実家にたどりつくと、ほっとした。死にたかったはずなのに。「生きなあかん」。そう強く思った。

 生きるために、アルバイトを…

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