スター俳優の大きな挑戦だった。大手映画会社作品のヒロインを務めていた広島市出身の月丘夢路(1921~2017)は、キャリアを捨てる覚悟をもって、原爆の悲惨さを赤裸々に描いた社会派作品に出演する。
月丘は県立広島高等女学校(現・広島皆実高)在学中に、現在の宝塚歌劇団の舞台を見て感激し入団を決意する。娘役スターとして活躍、1940年、在団中に映画デビューした。主演した「新雪」(42年)は大ヒットを記録。43年に退団して、映画俳優に専念する。
中国地方からは、日本映画を代表する監督、俳優らが多数輩出しています。その映画人たちは戦争とどう向き合ったのか。戦後80年を機に紹介します。
戦後は松竹、日活に所属して多くの作品に出演。「美徳のよろめき」(57年)では、恋におぼれる上流階級の人妻を演じて話題に。「よろめき」は流行語にもなった。
ある出演作の原作者だった井上靖にはこんなことを言われたことがあるという。「僕が今書いている本、また月丘さんみたいな人が出てくるんだ。つまり、着物姿で優雅にコリーを散歩させているような」
そんな中で異例のキャリアが…