吉永小百合の「伊豆の踊子」「若い人」、山口百恵の「潮騒」「絶唱」――。スターを起用して文芸作品を撮らせたら出色だった。鳥取県出身の西河克己監督(1918~2010)だ。
中国地方からは、日本映画を代表する監督、俳優らが多数輩出しています。その映画人たちは戦争とどう向き合ったのか。戦後80年を機に紹介します。
西河監督は父母の故郷である現在の同県智頭町で生まれた。4歳のころに父親が東京府庁(当時)に就職したため家族で上京する。今の日本大学芸術学部卒業後の1939年、松竹大船撮影所の助監督となった。しかし、1年も経たないうちに召集令状がきて、故郷の鳥取連隊に入隊する。
壮絶な軍隊生活は著書「白いカラス」に克明に描かれている。
上官による体罰、いじめ、リンチは日常茶飯事。「漫画などにも、眼から火花が散っている絵があるが、あれは決して誇張ではない。木刀や竹刀で思い切り頭を殴られると、本当に眼から火花がでる」とつづる。
40年冬、中国戦線に送られる。著作には生々しい戦闘体験だけではなく、住民・捕虜虐待の実相も記されている。
43年11月に召集解除とな…