家の裏山を掘ったら、古墳だった――。
これは、奈良に住んでいるとよく聞く「あるある」だ。
だが、3月の奈良市教育委員会の発表には、地元の人も驚いた。
住宅地の下に全長200メートル級の知られざる古墳が埋もれている、というからだ。
仮に「佐紀池ノ尻古墳」と名付けられたこの古墳。こんなに大きいなら、よほどの有力者が眠っていたのでは。それがなぜ埋もれてしまったのか。
そこにまた、驚きがある。
「破壊やむなし」その事情
発表の8日後に奈良市内で開かれた市民向けの報告会。市埋蔵文化財調査センターの学芸員・村瀬陸さんの言葉と、示された地図にざわめきが起きた。
「平城京の建設時に壊された古墳は、今までに分かっているだけでもこれだけあります」
地図に記された古墳は、新発見の佐紀池ノ尻古墳も含めて28カ所。大規模な都の開発工事に伴って破壊され、時を経て街の下に埋もれるなどしたという。
特に、平城宮跡の周辺には全長100メートル超の前方後円墳が5基も記されていた。いずれも4世紀末~5世紀の古墳で、平城京ができる300年ほど前のものだ。
佐紀池ノ尻古墳もその一つ。さらに大きな全長約250メートルの前方後円墳「市庭古墳」も、後円部の一部を残して削られてしまったという。
こうして消された古墳がある一方、都の一角に取り込まれて現代にまで残った大型古墳もある。
近鉄奈良駅の西に広がる市街地の真ん中には、約105メートルの念仏寺山古墳。近鉄尼ケ辻駅の西には、約227メートルの宝来山古墳がある。
壊された古墳と、残った古墳。何が運命を分けたのか。
村瀬さんは指摘した。
「残った古墳は当時、すでに…