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NPO法人エンディングセンターの井上治代理事長(右)から「桜葬」の説明を受ける高橋源一郎さん=2025年3月27日、東京都町田市、友永翔大撮影
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 コンピューターで制御された都会の巨大納骨堂から、桜の花が咲く郊外の樹木葬の丘へ。作家の高橋源一郎さんが、「死後」というテーマに向き合う思索の旅をしました。自身が経験した身近な人々の死が、旅の出発点でした。葬送のあり方についての社会的な議論を広げていくために。寄稿を掲載します。

家の墓を拒んだ母、墓終いを望んだ弟

 わたしの足元近くには母の遺骨を納めた骨壺(こつつぼ)が置いてある。半生を古い家族制度に苦しめられた母は、嫁ぎ先の墓に入ることを拒んだ。だからわたしは、遺骨と共に20年以上暮らしている。その母の苦しみに長く寄り添い、昨年亡くなった弟がわたしに遺(のこ)したことばは「家の墓終(はかじま)いをしてほしい。ぼくは桜の樹(き)の下で眠りたい」だった。

 「目黒御廟(ごびょう)」はJR駅から歩いて数分の、地上3階・地下1階の高級マンションのような近代的ビルだ。実は1万基近い「墓所」が用意されている都内最大級の「納骨堂」である。そこにYさんの「墓」がある。

 Yさんは新しいラジオ番組を立ち上げ、わたしはそこに長く出演した。番組が終了する頃、Yさんは退職した。愛したラテン文学の世界に戻るつもりだ、といったYさんは、その直後、事故で亡くなったのだった。

 フロントでYさんの名前を記入すると、ICカードが渡された。カードを受付機にかざす。モニターに表示された指定の参拝用ブースに移動し、ホルダーにカードを差しこむ。すると、正面の「扉」が開き「○○家」と刻まれた墓石に似た銘板が出現した。コンピューター制御で、遺骨を納めた箱が自動的に運ばれてきたのだ。傍らのモニター画面に、そこに眠っている人たちの遺影が次々に現れた。Yさんのご両親、そしてハンチングをかぶったYさんも。わたしは瞑目(めいもく)し両手を合わせた。どんな「墓」でも、そこを訪ねる人がすることは同じだ。

お墓の「後継者」がいなくなる時代

 「マンション型」とも呼ばれるこの「自動搬送式納骨堂」が、なぜ都会の真ん中に出現したのか。担当者はこう語ってくれた。

 「ひとつの理由は、後継者の…

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