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輪島市でつくった豆腐の移動販売を手がける水上江利華さん(右)。常連客との会話も弾む=2024年6月13日午後2時33分、金沢市太陽が丘、大平要撮影

 能登半島地震から半年が過ぎた。だが、大きな被害を受けた地域での「なりわい」の再開はまだら模様だ。過疎化に拍車がかかる奥能登のまちを訪ねた。

 青色のコンテナを載せた軽トラックが、金沢市内の住宅地を走る。ハンドルを握る水上江利華さん(38)が常連客の家の前で車を止め、コンテナの扉を開けると、冷蔵ケースには豆腐や油揚げ、豆乳などが並んでいた。

「なかなか前向きにはなれなかった」

 水上さんは毎週木曜日の朝、石川県輪島市町野町粟蔵の豆腐工場で軽トラに商品を積み、150キロ近く走らせてこの住宅地にやってくる。金沢市内での販売は2年ほど前から始めた。常連客が少しずつ増え、この日も3時間あまりで30軒近くまわった。

 「この豆腐を食べるともう、ほかの豆腐は食べたいと思わなくなる」。金沢市太陽が丘に住む山本万里子さん(65)は、そう言って笑う。でもそれが、1月1日に起きた能登半島地震のため、3カ月以上食べられない時期があった。「久しぶりのときは、(水上さんと)ハグをして涙が出たのよ」。水上さんの軽トラが再びやってきたのは、4月上旬のことだった。

 工場がある町野は、「奥能登…

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