5月上旬の朝、出張先のメキシコ市で地下鉄に乗ると、車内で化粧をしている女性を3人も見かけた。
メキシコの地下鉄は日本より揺れが激しい。そんな中、アイラインを描いたりマスカラをつけたり。「器用だな」と感心していると、目を疑う光景に出くわした。
ある女性が化粧ポーチから出したのは小さなスプーン。「朝食にヨーグルトでも食べるのか」と思ったら、向かった先は口元ではなく目元。左手に鏡を持ち、右手でスプーンの縁をまつげに押しつけ、カールさせている。彼女のまつげは、魔法をかけたように上がる。
ビューラーを使わないわけ
「なぜビューラーを使わないのか」。思い切って尋ねると、会社員のベロニカ・フローレスさん(50)はくすりと笑って答えた。「ビューラーだとまつげが直角に上がってカクカクするけど、スプーンだとなめらかで自然な曲線が作れるの」。このテクニックは、母から教わり、娘たちにも伝授したという。
【動画】スプーンとカードを使ってまつげを上げるジョセリン・フローレスさん=本人提供
驚いて、その晩に会った友人のエベリン・クリエルさん(38)に伝えると、彼女もスプーンユーザーだった。毎朝、通勤のタクシーの中でスプーンをライターであぶり、温めてからまつげをカールさせるという。「これだと夜まで完璧」。スプーンがないときは、クレジットカードで代用できるらしい。
「たとえば私は栓抜きがなくても瓶をフォークで開けられる。元々の使い方にとらわれず、柔軟なのが私たちメキシコ人なの」。彼女は誇らしげに言った。
物は試しだ。地下鉄内は恥ずかしかったので、ホテルに帰ってからクレジットカードでまつげを上げてみた。白目をむきながら奮闘すると、まつげは案外しっかり上を向いた。
4月にサンパウロに赴任したが、中南米での取材は思い通りに進まず、ストレスを感じていた。でも、たとえばビューラーがなければクレカで。うまくいかなければ、別の方法を考えればいい。もっと柔軟に。ラテンの国の心得を教わった。
特派員メモ
「特派員メモ」は世界各地で日々ニュースを追っている朝日新聞記者が取材や暮らしの中で感じたことをつづったコラムです。