取り壊しの予定という旧「将校集会所」=2025年6月25日午後2時16分、埼玉県熊谷市の航空自衛隊熊谷基地、小崎瑶太撮影

 めったに飲めないエビスビールが、グラスに注がれている。

 19人の若者たちは、笑顔も、涙もない。1945年4月、特攻隊が出発する前夜だった。

 別れの杯を交わした場所も、また特別だった。

 ここは、旧陸軍熊谷飛行学校の「将校集会所」(埼玉県熊谷市)。将校向けの食堂があった。貴重な白米に、肉がのった丼もメニューにあった。下士官は立ち入ることも、ここの食事を口にすることも許されなかった。

 現在、敷地こそ航空自衛隊熊谷基地と名を変えたが、将校集会所の建物は残る。

戦前の旧陸軍熊谷飛行学校の地図に「将校集会所」の表記がある。横に書いてある池は今は干上がっていた=2025年6月25日午後2時52分、埼玉県熊谷市の航空自衛隊熊谷基地、小崎瑶太撮影

 築92年。腐った柱の一部は朽ちている。外壁の白い塗料はひび割れ、はがれた。中はがらんとしている。

 長年使われていない建物は固く閉ざされ、静寂が包む。

 だが、集会所の食堂の給仕だった橋本次男さん(95)の80年前の記憶では、にぎやかな音がしていた。丼と箸のカチャカチャという音。会話を交わす将校たちの声。

将校集会所での戦争体験を語る橋本次男さん=2025年6月9日午後3時16分、埼玉県熊谷市、小崎瑶太撮影

 ひときわ大勢の人が詰めかけたのが、特攻の19人を将校200人が囲んだ夜だった。

 その翌朝。滑走路に飛行機が…

共有
Exit mobile version