大阪大空襲で亡くなった祖母と叔父の名前をなでる伊賀幸さん=2025年3月13日午後3時35分、大阪市中央区大阪城の大阪国際平和センター、花房吾早子撮影

 50万人以上が被災した第1次大阪大空襲から13日で80年となった。大阪市中央区の大阪国際平和センター(ピースおおさか)では犠牲者を悼み、その名が記された銘板の前に花が手向けられた。

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 大阪府内では、1944年12月から終戦前日の45年8月14日まで50回以上の空襲があったとされる。うち米軍B29爆撃機100機以上による大空襲は8回。3月13~14日にかけての第1次大空襲の死者・行方不明者は4千人以上とされる。

 平和学習で見学に訪れた大阪府高槻市立樫田小6年の尾山祉太郎(とみたろう)さん(12)は、空襲の歴史を学び「僕たちの年齢だった人もたくさん亡くなって悲しい。戦争は絶対よくないと改めてわかった」と話した。

 この日、国籍を問わず犠牲者を追悼する集会がピースおおさかの前で開かれた。市民団体の呼びかけで、約80人が集まった。

 犠牲者には朝鮮人や中国人、米国人捕虜も含まれ、市民らが名前や人数を掘り起こしてきた。調査を続ける元高校教諭の横山篤夫さん(83)は「次世代に伝え、戦争のない社会を共につくる一歩にしていきたい」とあいさつした。

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 朝、オーブントースターで温めたコロッケを取り出すとき、右手の人さし指をやけどした。氷で冷やしても、ぴりぴり痛む。

逝去から2年半近くたっても自宅に残る伊賀孝子さんの祭壇。長女の幸さんは納骨する気になれないという=2025年3月6日午後4時47分、大阪市住吉区、花房吾早子撮影

 「しょうもないことやけど、こんなちょっとでこんな痛かったら、おかあちゃんはどんなんやったんかな」

 3月初旬、伊賀幸さん(71)は亡き母、孝子さんを思った。「やけどは絶対したらいかん、させてもいかん」とよく言う人だった。

 1945年3月13~14日…

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