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西武時代の中島宏之(左)と浅村栄斗
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 プロ野球・東北楽天ゴールデンイーグルスの浅村栄斗(34)は、バットが背中をたたきそうなほどのフルスイングを何万回と重ねてきた。

 「強く振った中で生まれるヒットもたくさんある。後悔しないように打席に入っている」

 24日、本拠の楽天モバイルパーク宮城であった日本ハム戦。

 そんな美学通り、平成生まれで初となる2千安打目を豪快な一振りから刻んだ。

 西武時代の2015年8月8日に始まったプロ野球歴代4位、パ・リーグ1位の連続試合出場は、今月20日の試合に出場しなかったため、1346でストップしたが、衣笠祥雄、鳥谷敬、金本知憲に続く「鉄人」であることは変わりない。

 その秘訣(ひけつ)は何か、尋ねたことがある。

 浅村は前だけを見つめて答えた。

 「けがは結構するんで、教えてほしいぐらいなんですけど」

 そう言った後、言葉を探した。

 確かに、太ももを大けがしたシーズンがある。体調を崩した日もある。それでも、試合は休まなかった。

 そして、続けた。

 「痛いと思っても気にしない。大ざっぱというか、あまり考えないようにしています」

  • 楽天・浅村栄斗を変えた意識 時に輝き、「真に受け」戸惑った時も

 そんな気持ちを支える頑丈な「体」を、どう作りあげたのか。

 08年夏の甲子園、大阪桐蔭高で全国優勝に1番打者として貢献したときは、将来のトリプルスリー達成を期待されるような俊足の中距離打者だった。

 プロ入り1年目、西武のトレーニングコーチとして指導した大迫幸一さん(71)は、こう振り返る。

 「光っていたのは、体がものすごく強かったこと。筋肉の硬さと柔らかさの両方を持っていたと思う。それがけがをしない体につながっている」

 当時の練習メニューは今や全盛の筋力トレーニングより、選手の持つ素質を生かすもの――ランニングや自重のトレーニングが中心だった。

 大迫さんは、うれしそうに言った。

 「やんちゃだった浅村には何回も声をかけた。いまや初球から振っていける怖いバッターに成長して、すごい。体づくりにしても、プロ生活においても、いまがあるのは『師匠』のおかげ」

 「師匠」とは、西武時代の先…

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