自宅で被爆体験を語る金子廣子さん=2024年7月25日、札幌市北区、上保晃平撮影

 広島で生まれたから、廣子と名づけられた。

 金子廣子さん(84)=札幌市=は、被爆から1年が経った小学1年の秋、生活に困窮して一家で秋田県へ移った。先生は「広島から転校してきた」と紹介してくれたが、翌日、クラスメートから思いがけない言葉をかけられる。

 「お前、寄ってくんな」

 放射能についてうわさが広がっていた。被爆者だという理由で避けられ、いじめられた。

 廣子という名前が嫌いになった。

遠く離れた北の大地でも、消せない被爆の記憶。高齢化を理由に、北海道被爆者協会が来春解散します。その前に、聞きたかったこと。このシリーズは、随時掲載します。

 小学4年の時、移住先の秋田県で父親が亡くなった。北海道の紋別に嫁いでいた長姉を頼り再び転校。兄は紋別で住み込みの仕事先を見つけ、4番目の姉は東京へ女中奉公に。母親も札幌へ出稼ぎにでた。

 家族がバラバラになった。

 母親と暮らしたいと泣き続け…

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