アフガニスタンで医療支援や灌漑(かんがい)事業を進めてきたNGO「ペシャワール会」(福岡市)が、休止していたハンセン病診療の再開に向けて検討を始めた。現地代表を務めた中村哲(てつ)医師(享年73)が支援活動中に銃撃され、命を落として4日で5年。現地では用水路建設などが軌道に乗るなか、支援の原点とも言えるハンセン病診療の再始動をめざす。
「目の前に困っている人がいたら手を差し伸べる。それは普通のことです」
11月16日、没後5年にあわせたペシャワール会の講演会で、看護師の藤田千代子さんが、中村医師の言葉をひいた。藤田さんは1990年にパキスタン北西部ペシャワルに赴任し、中村医師とハンセン病患者らを治療した。「患者さんが、中村医師の顔を見ると本当にうれしそうにして、もうそれは印象的でした」
神経内科医の中村医師は84年5月、福岡県の病院からペシャワルの病院に赴任。最初に担当したのが、ハンセン病棟だった。当時、約2400人の登録患者がいたが、専門医は数人しかおらず、現地のドイツ人医師から協力を求められたという。医療器具はほとんどなく、同会が日本で寄付を募って支援した。
当時、医師のいないアフガンの山岳地域から、ハンセン病患者が次々に国境を越えて歩いてやって来た。ハンセン病にかかると、手足の感覚がまひして痛みを感じなくなることがあるため、歩き続けると足に穴ができる「足底潰瘍(かいよう)」に苦しむ。放置すると切断手術を余儀なくされることもあった。
一時は診療所を相次いで設立
そんな状況を見かねた中村医…