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 導く夫と支える妻ではなく、2人はともに表現者だった。エコール・ド・パリ全盛期を生きた早世の日本人夫妻の画業をたどる「板倉鼎(かなえ)・須美子展」が、千葉市美術館で開かれている。

板倉鼎「休む赤衣の女」(1929年ごろ)個人蔵・松戸市教育委員会寄託

 結婚した時、鼎は24歳、須美子は17歳。鼎は東京美術学校在学中に2度の帝展入選経験があり、留学準備を進めていた。文化学院1期生として文学を学んでいた須美子も入りたての大学部を中退し、1926年に2人は4カ月のハワイ滞在を経て、パリへと居を移した。

 日本で印象派風の洋画を学んだ鼎だったが、パリではそれまでの作風を脱しようと模索を始めた。西洋絵画の古典に立ち返って人体の骨格や明暗を丁寧に描き、27年からはキュービスムの影響を受けた画家ロジェ・ビシエールのもと、さらに画風の実験を繰り返す。

 「一度正しいアカデミズムを学んでから壊すという、日本人の洋画家ならではの遠回りがあった」と、同館の西山純子・上席学芸員は話す。

 27年の「雲と秋果」では…

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