横浜―津田学園 試合後、スタンドへのあいさつを終えて引き揚げる津田学園の選手たち=大山貴世撮影

 第107回全国高校野球選手権大会(朝日新聞社、日本高校野球連盟主催)で、三重代表の津田学園は横浜(神奈川)に敗れ、初の8強進出には届かなかった。だが、「エース頼み」と目されていたチームは、甲子園で「エースを支えるチーム」に進化を遂げ、試合ができる喜び、野球の魅力を存分に表現してくれた。

 最速149キロの桑山晄太朗投手(3年)は、三重大会5試合で失点1。佐川竜朗監督が「自分が見た歴代チームでも最強左腕」と言い、メディアの注目を集めた。

 一方、5試合で25得点の打線は「パンチ不足」との評価も。甲子園出場を決め、佐川監督は「うちは桑山を支える野手のチーム」と言ったが、正直、記者はまだこの時、半信半疑に捉えていた。

 甲子園入り後、佐川監督は「桑山頼みでは通用しない」と、全員に意識改革を求めた。1回戦の叡明(埼玉)戦では序盤に2点を先行して試合を優位に進めたが、追いつかれて延長に。

 この試合で真価を発揮したのが内野陣だった。

 安打性の当たりを間一髪で何度も食い止め、桑山投手は「鉄壁の守りに助けられた」と振り返った。決勝点は敵失だったが、監督の言う「エースを支える野手」たちが奮い、選手全員でもぎとった1勝だった。

 3回戦の横浜戦。選手からは、プレーができる楽しさが伝わってきた。2回戦が広陵(広島)の出場辞退のため不戦勝となり、試合は10日ぶり。ふだんは感情を表に出さない選手が多いが、全員が笑顔で守備位置につき、大声で励まし合う。

 五回まではふんばっていた桑山投手が、強力打線に3巡目からつかまり5失点。それでも「優勝候補相手に力は出し尽くした」と、下を向く選手はいなかった。

 試合間隔が空いたため、大会本部などの配慮で1時間の甲子園練習が設けられた。控え選手やベンチ入りできなかった同行選手もレギュラーと一緒に参加してグラウンドの感触を記憶した。25人のアカペラで校歌を歌い、「あれで、チームの一体感が高まった」と恵土湊暉(あつき)主将(3年)。

 部訓の「全員全力野球」を、試合のたびに高めていった津田学園。その経験を、ぜひ三重県の高校野球の成長にもつなげてほしい。

共有
Exit mobile version