午後7時。阪急富田駅(大阪府高槻市)から歩いて2分の場所にある「Bar AKIRA」の看板に明かりがともる。

 バーを営むのは、願野(がんの)祥平さん(40)。

 この場所はもともと、祖父の代から続いた自転車店「サイクルショップがんの」だった。それをバーに改装してオープンしたのは2013年6月。13年目を迎える。

 少し日焼けしたオレンジ色の軒先のテントには「がんの」の文字が残る。「サイクルショップ」の文字だけをはがした。バーの看板は、父が使っていた工具を並べて「Bar AKIRA」の文字を作った。自転車店の名残が、確かにある。

阪急富田駅から徒歩2分の場所にある「Bar AKIRA」。オレンジ色の軒先テントには「がんの」の文字があり、自転車店だった名残がある=2025年9月2日、大阪府高槻市、坂上武司撮影

 バーの奥で料理などを準備する母弘子さん(66)は「まさか祥平が『アキラ』と私が話していた夢をかなえてくれるなんて、想像もしていませんでした」。

 店の名前にもなる「アキラ」とは、11年12月に食道がんで亡くなった父明さん(当時62)のことだ。

 明さんの病気が分かったのは、11年6月のこと。医師から「余命3カ月」と告げられた。抗がん剤などを使って闘病しながら、亡くなる直前まで店で自転車やバイクの修理などを行っていた。

自転車店の前で家族とともに写る父明さん(右)。2011年12月に亡くなる直前まで働いていた=2011年8月27日、大阪府高槻市、願野弘子さん提供

 最盛期には近くの新聞販売所のバイク100台あまりの修理を一手に引き受け、明さんは油まみれになって働いた。時代とともに、そのバイクが50台、30台と減っていった。自転車店としての仕事は徐々に先細りしていった。

父と母が話していた、「いつか」の夢

 だから、祥平さんに跡を継げとはいっさい言わなかった。「自分の好きなことをしろ」。それだけ。

 明さんが亡くなった当時、祥…

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