宮崎駿さんの言う「血」とは何かを理解しないと、「魔女の宅急便」(1989年)で主人公キキはなぜ飛べてなぜ飛べなくなってなぜ再び飛べたのかが分かりません。それではこの作品の一番オイシイところを逃すことになります。「血」とは、アイデンティティーとレゾンデートル(存在理由)とに結びついた大切な仕事への情熱と使命感であり、それを支える「才能」をも含む。「ルパン三世 カリオストロの城」で銭形が言う「警察官の血がうずくわ」の「血」です。今回は、そういうお話。
親元を離れ港町でお届け物屋を始めた魔女の娘キキは、突然飛べなくなって落ち込んでいたところ、絵描きのウルスラに「私の山小屋に泊まりにおいでよ」と誘われます。山小屋での夜の会話が、この物語で最も重要なポイントであり、私がこの作品を好きな理由でもあります。
ウルスラ「魔法ってさ、呪文を唱えるんじゃないんだね」
キキ「うん、血で飛ぶんだって」
ウルスラ「魔女の血か……。いいね、あたしそういうの好きよ。魔女の血、絵描きの血、パン職人の血、神様か誰かがくれた力なんだよね。おかげで苦労もするけどさ」
「血」という言葉が最初に出てきたとき短絡的に「血筋か」と誤解されないよう、宮崎さんは言葉を連ねていまして、ここが絶妙。「神様か誰かがくれた」と言わせています。親がくれたもの、ではないのです。「天分」「才能」と呼ぶべき部分もありますがそれだけでなく、特権的で飛び抜けたものではない「得手不得手」「向き不向き」も含んでいること、加えて職業や仕事と結びついていることが、「パン職人の血」を持ってきたことで分かります。
ここでなぜ「パン」かと言え…