政府は5日、コメの増産にかじを切る方針を表明した。半世紀以上続いた「コメを作るな」という姿勢からの転換に、農家からは前向きな評価とともに、コメ余りによる米価暴落への懸念の声があがった。
「これまでの人生は『減反』との闘いだった。ようやく議論が動いたことはうれしい」。秋田県大潟村で約100ヘクタールの水田を管理する農業法人会長の涌井徹さん(76)は歓迎した。
大潟村は1964年、コメ増産をめざし、国内で2番目に大きい湖、八郎潟を干拓して誕生した。増産を夢見る農業者が全国から集まり、涌井さんも70年に入植した。ところが翌年から米価が下がらないよう生産量を減らす国策「減反」が本格的に始まった。
国に従い、麦などを作っても、元は湖だった土地は水はけが悪く、うまく育たない。上限を超える量のコメを育て、独自の販路で売り出せば、「ヤミ米」と呼ばれ、県や警察が流通させまいと検問を行った。借金を抱え、自ら命を絶つ仲間もいた。
小泉農水相に送った手紙
国は2018年に減反を廃止…