サッカーJ1・サンフレッチェ広島の仙田信吾・前社長(70)が、広島経済大学の客員教授に就任した。6月11日にあった「初講義」では、被爆から復興した広島のサッカー史なども含めて熱く語った。
サンフレッチェの社長として最終年だった2024年のクラブの売上高は、過去最高だった前年度の約42億円からほぼ倍増の約80億3千万円になった。「我々は、コロナ下でもスポンサーを伸ばしてきたということを知っていただきたい」と学生に語りかけた。
未知の敵との戦いが始まったのは、社長就任直後のことだった。
多くのJクラブが経営に苦しんだ。そんな中、直筆の手紙をスポンサー企業などに書き続けた。内容は、広島には奇跡の歴史があること。「コロナを耐えられない訳がない。頑張りましょう、と」。すると、過去に経営難から立ち直った企業からも支援の申し出があった。売り上げ増は、新スタジアム「エディオンピースウイング広島」の効果もあるが、こうした地道な取り組みの成果でもあった。
高校時代は剣道部員。サッカーとの縁ができたのは中国放送に入社してからで、Jリーグが発足した年にテレビ番組「週刊サンフレッチェ」を立ち上げ、クラブと長く携わってきた。
「サッカーは、なかなか点が入らない。だから面白くないという人がいるけれど、なかなか点が入らないからこそ得点したときの喜びが大きい」。取材で競技の魅力について語り始めると、止まらなくなることがあるほどだ。
昨年12月、本拠最終戦であいさつしたときの観客の反応が忘れられない。
その年の入場料収入がJ1クラブで2位になる見込みであることなどを報告し、「我々は地方クラブではない」「Jリーグを引っ張っていく存在になっていく」と語った。
うわーっと響いた声を耳にしたとき、「観客、選手、フロントが本当に一つになったと思った。この感動だけで、もうちょっと生きていけると思った。それを、これからみなさんに伝えていければと思う」。
クラブ経営など本格的な講義は9月下旬から始める。その前に、教室の中でも大きな拍手が響いた。
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1955年3月生まれ、広島県府中市出身。基町高校、中央大法学部を経て中国放送に入社。2017年からRCCフロンティアの社長、会長を歴任し、サンフレッチェ広島の代表取締役社長を20年1月から24年12月まで務め、現在は相談役。