宇部商との準々決勝の延長十一回、浦和市立は1死満塁から横田の右中間三塁打で勝ち越し=1988年8月20日、阪神甲子園球場

 第70回記念大会として開催された1988年の夏の甲子園は、初出場の埼玉代表・浦和市立(現・市浦和)の快進撃に沸いた。

 地方大会の打率は出場49校で最低の2割5分ほど。平均身長171センチ、体重67キロと「普通の高校生」と変わらない体格のチームが、試合ごとにたくましくなっていく姿は高校野球の魅力そのものだった。

 伝統校の佐賀商との1回戦は、二回に先制し、その後も着実に加点して5―2で快勝した。

 2回戦は前年準優勝で木内幸男監督(故人)率いる常総学院(茨城)。一回に敵失に乗じて2点を先行すると、三回にも3点を追加。優勝候補を相手に序盤から主導権を握り、6―2で勝って波に乗った。

 3回戦は、同年の選抜大会4強の宇都宮学園(現・文星芸大付=栃木)を相手に八回に追いつき、延長十回に決勝点を奪って2―1で勝った。選抜8強の宇部商(山口)との準々決勝はさらに粘り強かった。五回までに0―3とリードされたが、六回に1点、七回に2点を挙げて追いつき、延長十一回、1死満塁から連続三塁打で4点を奪って試合を決めた。

 準決勝で広島商に2―4で敗れ、埼玉勢として51年の熊谷以来、37年ぶりの決勝には届かなかった。だが、ピンチにもエース星野豊を中心に笑顔を絶やさず、のびのびプレーしていたことから、いつしか「さわやか旋風」の名が付いた。

 全国選手権の優勝4度など、サッカーでは強豪として知られていた浦和市立。以前は定時制の高校で野球を教えていたという中村三四監督の口癖は「心から野球を楽しめ」だった。

 チーム全体に今の時代を先取りするような明るさがあった。

共有
Exit mobile version