かつてDJの小林克也は、米国のバンド、ヴァン・ヘイレンの詞をこう表した。「少々子どもっぽいものが多く、社会的な要素はほとんどなかった」。たしかに、好いたほれたの色恋沙汰など、享楽的な歌詞が多かった。
そんなバンドに詞作や曲作りで新たな柱を建て、黄金期と呼ばれる時代を作ったのが、1985年に加入したボーカリスト、サミー・ヘイガーだ。
96年に脱退してから、28年たった。バンドは事実上の活動休止状態となっている。そんななか、サミーは今年9月、ヴァン・ヘイレンの楽曲を歌うツアーを日本で行う。
いま、かつて在籍したバンドと、2020年に死去したギタリスト、エディ・ヴァン・ヘイレンについてどんな思いを抱いているのか。本人にインタビューした。
バンドに加入する直前、サミーは引退を考えていた。ソロシンガーとして活動しており、人気は絶頂。野太さと繊細なハイトーンが同居した声は「ヴォイス・オブ・アメリカ」の異名をとっていた。しかし、「ツアー、アルバム、ツアー、アルバム。その繰り返し。もう楽しくなかった。音楽をやめようと思ったんだ」。旅行代理店などの副業も成功し、蓄えはたっぷりある。引退して、のんびり暮らそうか。次の人生を思い描いていたある日、電話が鳴った。
エディからだった。「ちょっと出てきて、セッションでもしないか」。バンドへの加入も打診された。
バンドは78年に結成。84年の「JUMP」のヒットでスターダムへと上りつつあった。一度は断ったが、熱意にほだされ、セッションに参加した。
演奏を録音したテープを家に帰って聴いた。決して走らない、力が抜けたリズム。敬愛する60年代のバンド、クリームの音のようだった。
サミーはこの音を聴き、「全身に鳥肌が立った」とのちに自著で述懐している。心は一気に、加入へと傾いた。誘いを受け入れ、85年にバンドのメンバーとなった。
加入してみると、エディをはじめメンバーが詞作に無関心だと知った。「自分たちの曲の歌詞すら知らない」ほどだった、という。
成功の影で変化した、バンドの人間関係とエディ
サミーが加入したヴァン・ヘイレンはロック音楽の固定観念を崩し、「産業ロック」「ダイナソーロック」といった批判の声をよそにファンを拡大させていきました。しかし、バンドは次第に変化していきました。記事後半では、サミーに、バンド脱退時の心境やエディへの思い、ヴァン・ヘイレンの曲を中心に歌う日本ツアーへの意気込みなどについて聞きました。
「セックスとドラッグとロッ…