2024年11月、日米の野球交流に貢献した人物がグラウンドを離れた。46年の現役生活に区切りをつけて。
大リーグ・レッドソックスやレンジャーズの広報部長だったジョン・ブレーク(69)。
松坂大輔、ダルビッシュ有(現パドレス)ら多くの日本選手を担当し、06年の第1回ワールド・ベースボール・クラシック(WBC)で大会広報の基盤をつくった人でもある。
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記者と顔を合わせるたびに「最近は誰を追いかけているの?」と人なつっこい笑顔で話しかけてくる。所属チームが試合で敗れれば、選手以上にいらだちが顔に出てしまう。そんな性格だからこそ、多くの人に愛されてきた。
「がむしゃらに仕事をしてきた結果かな」。そう振り返る。
半世紀近く、現場で必要とされ続けた。その理由は「人間力」にある。
米マサチューセッツ州ボストン郊外に生まれ、レッドソックスファンとして育った。ジョージタウン大で外交官を目指していた時、スポーツ報道と出会った。大学新聞で記事を書き、大学のラジオでバスケットボールの実況を務めて気づいた。スポーツに携わる仕事がしたい――。
1979年にオリオールズの広報部に就職した。当時の給料は年間1万6千ドルほど(約229万円)。しばらくは大学で副業もした。でも、球団のグッズや選手のプロモーション企画にも関わり、日々は充実していた。
84年シーズン後、レンジャーズの広報部長に就任した。「自分が描く広報部をつくりたかった」。だが、土地勘もない弱小球団。部下2人との船出は厳しかった。
チームは99敗で地区最下位。同じ地域のニュースは、プロフットボールNFLカウボーイズが中心だった。
転機は89年。100マイル…