疑心暗鬼と開発競争

100年をたどる旅~核の呪縛~②開発競争と疑心暗鬼

 39年9月、ナチス・ドイツがポーランドに侵攻する。第2次世界大戦を勃発させたこの国家はその5カ月前、ある計画を始めている。「ウラン・プロジェクト」。その名の通り、原爆の開発である。

 国防軍が物理学者らを招集し、原爆製造の可能性を議論した。アインシュタインらユダヤ人学者の多くは迫害を逃れて亡命しており、関わったのは非ユダヤ人の研究者だった。その一人に恒星内部の核融合の研究などで知られる物理学者カール・フリードリヒ・フォン・ワイツゼッカー(1912~2007)がいた。1990年に東西ドイツが再統一を成し遂げた際、大統領を務めたリヒャルト・フォン・ワイツゼッカーの長兄である。

 39年8月、米国に亡命していたアインシュタインは、ドイツによる原爆開発を懸念する手紙をフランクリン・ルーズベルト米大統領に出した。手紙の中でカールが所属する研究所が、ウラン研究をしていると警告している。

 カール自身、著書「原子力と原子時代」(岩波新書)で、核分裂の証明から間もない時期に原子爆弾について「技術的可能性にはっきり気がついて、友人たちと理論的に討議した」と明かしている。

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コペンハーゲンで撮影されたヒトラー

 米国が原爆開発を急いだ背景には、ドイツの物理学者がヒトラーのために原子爆弾をつくるのではないかという疑心暗鬼があった。連合国側はドイツによる開発を阻止するため、原爆の製造に必要なウランや重水がドイツに渡らないための作戦を実行。マンハッタン計画で学者を集中的に集め、莫大(ばくだい)な金をかけて開発を進めた。

米国の原爆製造「聞いていたら我々は…」

 一方、ドイツ側は戦況が悪化…

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