牛久市の刈谷地区に自治会ができて30年の記念に新築された刈谷自治会館の前に立つ橋本彊さん=2025年6月23日、茨城県牛久市刈谷町1丁目、羽賀和紀撮影

 「あの家の人も、どこかに引っ越したのか。いつの間にか無人になったね」

 JR牛久駅(茨城県牛久市)から西へ約1キロ。2400世帯ほどが暮らす刈谷団地で、12年にわたり地区の行政区長を務めた橋本彊(つとむ)さん(80)は嘆息する。

 一帯は1970(昭和45)年度に住宅地として造成が始まり、都心から50キロにある「ベッドタウン」として人気を集めた。橋本さんも「家族を持ったらマイホーム」と、79年に千葉から引っ越した。夢だった犬が飼える庭付きの戸建てで家族4人の生活を始めた。

 東京・神田の建設資材会社で夜11時まで働き、家には寝に帰るだけ。国鉄(当時)常磐線の沿線には、そうした「企業戦士」が求める一戸建ての分譲住宅が立ち並んだ。

 しかし、近年は庭の木の枝が敷地外にまで伸びた家や、雨戸が閉まったままの空き家が目に付くようになった。住民が亡くなって廃屋となった家もあり、「不用心だ」と感じることも多い。

 成長した子ども世代は進学や就職で出て行く。残った親世代の中には、子どもが暮らす新居に移ったり、施設に入ったりする人が増える。

 「そのまま空き家になりやしないかと心配だ」

牛久市は「空家対策課」

 国の住宅・土地統計調査(2…

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