パラオのペリリュー島に放置された戦車の残骸=2023年3月10日、牧野愛博撮影。日本軍の粘り強い持久戦のため、米軍が数日間と見込んだ戦闘は1944年9月15日から2カ月余も続き、日米両軍の戦死者は1万1千人を超えた

 日本は第2次世界大戦中、広大な太平洋の島々に侵攻した。米軍との激戦の末に、日米両軍や一部の住民に多くの犠牲者が出た。戦後80年が経ち、静かに朽ちていこうとしている各地の戦跡を、写真とともに紹介する。

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 米軍は太平洋で、戦略上重要と思われる島伝いに西進する作戦(アイランド・ホッピング)を採った。

サイパンで野戦重砲兵第九連隊黒木大隊が使用した四年式十五糎(センチ)榴弾(りゅうだん)砲=2024年8月17日、牧野愛博撮影。1944年6月16~17日、米軍の攻撃で黒木大隊は壊滅した

 日本本土を空襲するため、米軍は、日本が「絶対国防圏」とした北マリアナ諸島のテニアンやサイパンなどを1944年6月から攻撃。テニアンの飛行場からは、45年8月に広島・長崎へ原爆を投下したB29爆撃機も飛び立った。米軍はサイパンやグアムにも侵攻。サイパンでは日本軍が玉砕し、多くの民間人が追い詰められて自決した。

1944年のサイパンの戦いで、米軍に追い詰められた人々が身を投げた「バンザイクリフ」=2024年8月17日、牧野愛博撮影。約1200人が身を投げたとされ、生き残った人の証言によれば、海面が赤く染まったという

 米軍は西太平洋パラオのペリ…

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