ヒグマが、捕獲や調査に国の交付金が出る「指定管理鳥獣」にこのほど追加された。北海道では明治期以降、人とヒグマとの「あつれき」が繰り返されてきた。ヒグマ対策の歴史について、問題を起こす熊との向き合い方を論じた「アーバン・ベア」(東京大学出版会)著者の佐藤喜和・酪農学園大学教授に聞いた。
――北海道が1966(昭和41)年に始めた残雪期の「春グマ駆除」をどう評価しますか。
「北海道におけるヒグマの保護や管理を歴史的な視点から語るうえで欠かせない制度です。悲惨な人身被害や家畜・農業被害、人里や農地への出没が後を絶たず、制度導入当時は、日本が文化国家として近代化していくには、未開の象徴であるヒグマを絶滅させるべきだと考えられていた。捕獲の頭数や範囲・場所に制限のない『撲滅政策』とも言うべきもので、とにかくクマを減らすことが目的だった」
「猟がしやすい日本海側など雪が多い地域では効果的に捕獲が進み、個体数が減った結果、被害も減った。特に、札幌を含む『積丹・恵庭』、『天塩・増毛』地域では、絶滅のおそれがでてきた。ハンターの数など捕獲努力量や効率は上がっているはずなのに捕獲数が減少してきたというデータもあり、全道で生息数が減ってきたのだろうと判断され、90年に廃止された。時代的にも世界的に自然保護の意識が高まり、『撲滅』から『共存』へと北海道の政策が百八十度転換した」
――ほかに効果はありましたか。
「ハンターの人材育成です。雪が残っているうちにクマの足跡や冬眠穴を探して歩くことで地元の山を知り、クマの追い方やクマの行動・生態を学ぶ機会になった。若手はベテランから教わり、経験を積むことができた。制度廃止で捕獲技術や知識の伝承が途切れてしまった」
捕獲頭数は過去最多、なぜ生息数が増えたのか
――その後、ヒグマの生息数は増え続け、2022年末の推定生息数は1万2千頭(中央値)を超え、廃止時の約2・3倍に増えたとされます。
「廃止の議論が起きたころも…