太平洋戦争の海外戦地として最多の日本人死亡者を出したフィリピンのルソン島で、終戦記念日の15日、戦没者慰霊祭が執り行われた。遠藤和也・駐フィリピン日本大使は「日本と米比間の戦闘で犠牲となった数多くの人々や家族の苦悩と悲しみを、日本人は決して忘れてはならない」と述べた。
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フィリピンは日米両軍の激戦地となり、首都マニラなど、全土で日本人約52万人、フィリピン人約111万人が犠牲になったとされる。
慰霊祭はルソン島中部ラグナ州のカリラヤ日本人戦没者慰霊園で、日本大使館が1973年から毎年開いているが、戦後80年を経て、フィリピン政府高官が初めて出席した。
マルコス大統領は「戦争の教訓は、戦争を断固として拒否し、平和や人間の尊厳を守るため、永続的な友情を追求し続けるという我々の社会の基本であり続ける」とのメッセージを寄せた。その上で、日比関係を「インド太平洋地域で最も力強く強固なパートナーシップ」と評価した。
遠藤大使は閉会の辞で、ロシアによるウクライナ侵攻を「国際秩序の根幹を揺るがす暴挙」と批判。「我が国を取り巻く安全保障環境は、戦後最も厳しく、複雑な状況にある。戦争の悲惨さを深く心に刻み、記憶を風化させることなく継承していくことが重要だ」と決意を語った。
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