女性解放を求めるウーマンリブ運動が展開された時代から約半世紀たった。
フェミニズムをテーマにしたパフォーマンスで知られる美術家で俳優の遠藤麻衣さんには、幼少時にリブ団体「中ピ連」の映像をテレビで見て「過激で怖い人たち」と感じた経験があるという。歴史は後続世代にどう受け継がれるのか。ガザ攻撃に対する抗議運動に参加して、自身も「過激すぎる」との批判を受けた遠藤さんに聞く。
子どものころテレビで見た 中ピ連と田嶋陽子さん
――この夏に亡くなられた田中美津さんは、1970年代に日本で広がったウーマンリブ運動の代表的存在でした。あれから約半世紀。80年代生まれの遠藤麻衣さんにとって、リブとの出会いはどういうものでしたか。
「私がウーマンリブというものに初めて触れたのは4歳か5歳のころです。テレビのワイドショーで、ヘルメットをかぶった女性たちの映像が流れていました。激しい運動シーンに、視聴者を驚かせるダダンという効果音が付けられていて、『過激で怖い人たち』とのイメージがぼんやりと残りました」
「ピル解禁を求めて70年代に活動した『中ピ連(中絶禁止法に反対しピル解禁を要求する女性解放連合)』というリブ団体の記録映像だったということは、あとになって知りました」
――確かに、中ピ連はピンク色のヘルメットをかぶっていたことでも注目されていました。77年に解散していますので、テレビの番組を通じて解散後に出会った形ですね。
「リブ運動そのものではないのですが、関連する子どものころのもう一つの記憶は、フェミニストの田嶋陽子さんがテレビに出ていたことです。ストレートな物言いで男性出演者たちを批判する田嶋さんが『場をざわつかせる人』『周りから笑われている人』として扱われているように見えて、印象に残りました。番組演出的に『からかっていい人』と位置づけられているように映ったのです」
なってはいけない/なるかもしれない
――どう感じましたか。
「母と一緒に番組を見ながら『この社会で女性がどう遇されるのか』のイメージを刻みこまれるような気がしていました。『ああなってはいけない』という恐れと『ああなるかもしれない』との予感の両方を抱きました」
――中ピ連は避妊用ピルの解禁や女性の解放を訴えていましたね。テレビで知ったあと、リブ運動に関心が向かったのですか。
「いえ。フェミニズムに関心を持つようになったのは30歳ぐらいのことです。同性婚を題材にした朗読劇に参加し、メンバーとの勉強会に出たのがきっかけでした」
「上野千鶴子さんの本を読ん…