フジテレビの番組でレギュラーを務める文筆家の能町みね子さんは、中居正広氏の性加害問題に関するフジの対応に、バラエティー的な「反知性」の影響を見て取ります。フジの再生を願ってこその、重い苦言です。
肯定されるハラスメント
「楽しくなければテレビじゃない」を看板に掲げたフジテレビが、1980年代後半から90年代前半の黄金期に提示した「楽しさ」には、大きく2種類あると思います。ひとつは、とんねるずやダウンタウンが牽引(けんいん)したバラエティーの楽しさ。もうひとつは、深夜枠の実験的番組が放ってみせた知的な楽しさ。
「広辞苑」に載っている言葉を用いてゲームする「たほいや」などは後者の好例として当時から知っていましたが、前者にはほとんど触れずに来ました。なぜかといえば端的に「怖かったから」です。
私は中学校に上がるのがとても嫌でした。小学生時代は上下関係なく仲良くできたのに、中学生になったとたん、先輩には必ず敬語を使い、従わなきゃならない。その抑圧的な空気に似ているものを番組に感じていたんだと思います。いじりやいじめ、いまで言うハラスメントが全部笑いに変えられ、肯定されていくことへの違和がありました。
それでも当初は、反権力や反権威といった思想が制作側に宿っていたのかもしれません。勉強なんかしなくていい、エリートなんてくそくらえ、おもしろければそれでいいんだと。
しかし、いつしかそれが世の主流となって権力化してしまった。そうしてバラエティー的な「反知性」をただばらまいた罪はいま思えば重いです。その「毒」はフジの中枢にも回っていたことが、中居正広氏の性加害問題を受けてからの一連の対応で露見しました。
当初、社長会見をクローズで…