「石田さん、私はチャレンジャーです。可能性があれば、それに賭けます。リスクを取らねば、何も生まれない」

 アルベルト・フジモリ氏は密着取材していた私に、目を細めて片言の日本語で語りかけてきた。私の表情から、釈然としない思いを読み取ったようだった。

滞在先の書斎で笑顔を見せるフジモリ氏=2007年7月9日午前6時3分、サンティアゴ、石田博士撮影

 あの日の笑顔が忘れられない。

 2007年6月、留め置かれていた南米チリで唐突に日本の参院選への立候補を決めた。

 第三極をもくろむ国民新党の要請で、比例順位は4位。本人が日本で選挙運動ができるわけもなく、当選の可能性は限りなく低い。

 そもそもペルーで大統領を務めていた人が日本の国会議員に転じるということが、広く理解を得られるとは思えない。

 それでも、賭けに出たい事情があった。

9月に死去したフジモリ元ペルー大統領。大統領の座を失っても、政界への復帰を志し続けました。かつてフジモリ氏を密着取材した元南米特派員が、「希代の戦略家」と呼ばれた政治家が見せた意外な一面を明かします。

  • 【ペルー日本大使公邸占拠事件】連載「リマ事件の127日 突入編」

日本の外交官が見たフジモリ氏の姿

 母国への移送が近づいていた…

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