日本が東京湾上の米戦艦ミズーリの艦上で降伏文書に調印した1945年9月2日、ベトナムではホー・チ・ミンが独立を宣言しました。ベトナムはその後、抗仏闘争やベトナム戦争の時代を迎えます。防衛研究所戦史研究センターの立川京一センター長は、インドシナ3国(ベトナム、カンボジア、ラオス)の戦後について「米国やフランス、ソ連、中国など大国の影響に翻弄(ほんろう)されながらも、自立の道を模索する80年だった」と語ります。
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――日本軍は40年9月に北部仏印、41年7月に南部仏印にそれぞれ進駐しました。
日本はフランスの植民地統治の継続を認め、占領という形式を取りませんでした。フランス側と交渉して使用可能となった兵営、飛行場、港湾など重要な地点に進駐しました。
日本とフランスのインドシナでの共存は戦争中も続くことになりますが、44年8月にパリが解放され、ドゴール政権が成立すると、フランスの対日姿勢も変化します。45年3月9日、日本軍は連合国軍がインドシナに上陸してくる可能性が高まったと判断、インドシナの仏軍を武装解除する「仏印武力処理」を行いました。
インドシナ地域の治安を担当していたフランスの軍や警察がいなくなり、ホー・チ・ミンに率いられ、フランスからの独立を目指す「ベトナム独立同盟」(ベトミン)の動きが活発になりました。米中央情報局(CIA)の前身、戦略情報局(OSS)がベトミンに協力しました。ホー・チ・ミンの独立宣言は、1776年の米独立宣言によく似ていると言われています。
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