Smiley face
写真・図版
ホロコーストの犠牲になった人が住んでいた家の入り口があった場所に埋められた「躓(つまず)きの石」。全国各地にあり、名前や青年、いつ収容所に送られ、亡くなったかが刻んである=2021年5月、ベルリン、野島淳撮影

 1923年の関東大震災時、「朝鮮人が略奪や放火をした」といった流言が広まり、朝鮮人らが殺傷される事件が多発した。政府側は長年、「記録が見当たらない」との見解を繰り返してきたが、昨年も相次いで新たな公的資料の存在が明らかになるなど、残された記録や証言をたどる営みが続いてきた。「歴史修正主義」の著書がある学習院女子大の武井彩佳教授(ホロコースト研究)に聞いた。

  • 関東大震災の朝鮮人虐殺、否定論やまず 公的記録、相次ぐ「発掘」

 虐殺などの大きな人権侵害が起こった後、年数が経ち、生存者がいなくなると、当然のように共有されていた事実に対して「あったかどうか分からない」「十分な事実確認ができない」といった言説が生まれやすくなります。

虐殺の事実、100年経つと

 例えば、現在のガザの惨状を疑う人はいないと思います。でも、100年経ったら「あの映像は本物か」「やらせで証言しているのではないか」と疑義を挟む人が出てくるでしょう。歴史研究の手続きを踏んでこれだけの人が殺害されたと論証された事実と、根拠にならない根拠を挙げて「虐殺はなかった」とする意見が、あたかも同等の価値があるかのように並べられるかもしれません。

そうならないために、できることは? 詳しく聞きました

 歴史的事実は、意識的に継承…

共有