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1944年10月20日、フィリピン・レイテ島に上陸する米軍のダグラス・マッカーサー将軍(中央)=米国立公文書記録管理局のホームページから

 今から80年前の1944年10月20日、米軍がフィリピン・レイテ島に上陸しました。日本軍はレイテ島にいた部隊がほぼ全滅し、ルソン島のマニラ北部でゲリラ戦を続け、45年8月に終戦を迎えました。防衛研究所戦史研究センターの進藤裕之国際紛争史研究室長は、フィリピンでの戦いは、米軍が東アジアにどう侵攻するかを巡る議論の末の産物だったと指摘します。

 ――米軍は44年初めから中部太平洋と南太平洋を西進していました。

 米軍は44年8月までに中部太平洋・北マリアナ諸島のサイパン、テニアン両島を制圧しました。44年9月からは南太平洋・ペリリュー島に侵攻しました。南太平洋では8月中にニューギニア島の制圧が事実上完了しました。しかし、次の侵攻目標を巡って「フィリピンか台湾か」で意見が割れていました。

 連合国軍最高司令官を務めたマッカーサー元帥や米陸軍はフィリピンを主張しました。マッカーサーは大戦初期の42年3月、日本の侵攻に対して防戦中のフィリピンから脱出を余儀なくされた際、「I shall return」という言葉を残していました。フィリピンは戦前に米植民地だったため、戦後の影響力を考えた場合、フィリピン侵攻を急ぐべきだという意見もありました。

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