「MSカレッジ 第0回」であいさつする三島邦弘さん=2025年8月22日、ミシマ社提供

Re:Ron連載「共有地よ! 三島邦弘の思いつき見聞録」第4回

 (イタリアの歴史家シルヴィア・フェデリーチがいうように、)新しい社会の再構築は、日常生活世界の問題を抜きにしては語り得ず、それは、「わたしたち」の生が構成される足下に根を下ろした草の根の「ゼロ地点」からしか、成し得ないのだから。(湯澤規子『焼き芋とドーナツ』KADOKAWA)

 実験の数だけ失敗がある。失敗は成功の母――。

 多くの先人たちが語るのをたびたび耳にしてきた。きっと真理なのだろう。自身をふりかえっても、数えきれない失敗をくりかえしてきた。そこから少なからぬ学びを得て、どうにかこうにか今がある。それが偽らざる実感だ。

 ところが現代社会を見渡せば、すっかり失敗が許されない世となった。失敗やミスを犯せば、すぐに咎(とが)められる。99いい仕事をしていても、ひとつのミスですべてが台無しに。もちろん、信頼の構築には歳月を要す。壊れるのは一瞬。とは、昔からよく言われることだが、信頼関係とはあくまで当事者間の話である。昨今の風潮は、SNSの伸長により、まったく関係のない第三者、その仕事における関係者でないだけでなく「客」ですらない人たちからも攻撃を受けかねない。「無責任!」「迷惑!」などと。結果、何もしないという選択肢をとるのが賢明。行動しなければ、成功もないが、攻撃されるリスクもない。よって、何もしない。そうした空気が蔓延(まんえん)する。

 その空気による最大の被害者は若い人たちだろう。なぜなら、経験を積めないからだ。経験こそ財産。その財産を手に入れる機会を時代の空気が阻む。

 現代社会はさまざまな共有地を求めている――。この仮説をベースに本連載を進めているが、そうであれば、成功の反対語としての「何もしない」が蔓延する現代の空気も、共有地が必要とされる背景にあるはずだ。

 共有地には、失敗も成功もない。

 もし私たちが無意識に共有地を欲しているならば、成功や失敗というものさしのない世界を希求しているからではないか。

 ところが、ビジネスと共有地は相性が悪い。相いれない関係性にある。では、そのビジネスと呼ばれる世界で、「失敗も成功もない」を実現しようとすればどうすればいいだろう?

 以前よりぼんやり思っていたことを、この夏、実験してみた。

 この後、「学問と出版の新たな挑戦」を掲げてミシマ社が取り組んだ「MSカレッジ 第0回」の模様を伝えます。「MS」とは何かを、講師陣が「大喜利」でつなぎます。

■近道と直感 「第0回」のすすめ

 「第0回」。あるイベントに…

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