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ミャンマー中部マンダレーの被災者のキャンプで、僧侶からコメなどの支援物資を受け取る女性=2025年4月21日、マンダレー、笠原真撮影

 5月6日の夕方。ミャンマー伝統のかみたばこ「クンヤ」を、ミンテイさん(59)は一つ口にふくんだ。目の前には赤茶色のれんがやがれき、看板とおぼしき緑色の板が散乱している。「解体したんだ。住める状態でも、店を続けられる状態でもなくなったから」

 3月28日、ミャンマー中部を震源としたマグニチュード7.7の地震が起きた。首都ネピドーや第2の都市マンダレーで多くの建物が倒壊し、全権を握る国軍は3700人以上が死亡したとする。

 ミンテイさんの家族はネピドー郊外で約半世紀、薬局と資材店を営んできた。被災し、店をショベルカーがうなりを上げながら取り壊していく様子を眺めることしかできなかった。「言葉がない、なんてものじゃないよ」

 ミンテイさんはこうも語った。「解体作業と費用は民間のボランティア団体が負担してくれた。私は彼らに水を差し入れただけ。本当に助かったよ」。感謝の言葉だった。

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ミャンマーの首都ネピドー郊外で、地震後に解体・撤去した店の跡地を通り過ぎるミンテイさん(右)=2025年5月6日、ネピドー郊外、笠原真撮影

 私は地震翌日から被災地で取材してきた。避難者のキャンプでは、温かい弁当や水を手渡す一般市民の姿を頻繁に目にした。マンダレーに住み、自らも被災したという女性(42)は夫とペットボトルの水とエナジードリンクの粉末を配っていた。「商店を営んでいて少し余裕がある。大変な時こそ助け合わないと」と言い、乗用車で次の支援先へと去った。SNSでは募金活動も次々と立ち上がり、ボランティアが支援物資を被災地に運んだり、建物の解体を担ったりしていた。

地震に不慣れでも…助け合える理由は

 ミンテイさんは「以前は私も…

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