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青原優花さん

レッツ・スタディー!小論文編 青原優花さん②

 自分の考えを論理的な文章にする小論文。近年の大学入試では思考力や表現力がより重視され、小論文を学ぶ意義が改めて注目されています。NMB48メンバーによる小論文を河合塾の講師に添削してもらい、文章表現の要点を探ります。青原優花さん(16)担当の2回目です。(構成・阪本輝昭)

 記事の後半で、青原優花さんのサイン色紙が抽選で当たる読者プレゼントの案内を掲載しています。

【お題】「練習は質より量だよ」に続く文章を

 先輩の言葉「すごく丁寧で中身の濃い練習だね。でも練習は質より量だよ、だって」の後に続く文章を書いてください。(200字以内)

【青原優花さんの小論文】

 量をこなす事は自分が成長する上で必ず必要と言える程(ほど)重要な事だよ。
 最初は覚える事が多く、何からこなしていくべきか戸惑う事もあるけど、まずは何度も体が覚えるくらい練習する事が大切。それからは自分の視野も広くなって、更に表現を高める時間を作れたり、クオリティを上げることができる過程となるから、まずは一歩一歩着実に、自分に出来ることをしよう。
 量といった努力の積み重ねは、いつか自分の武器になると思う。

【講評】小論文がもつ「説得・対話」要素 書きやすいお題に注意

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河合塾・加賀健司講師

 講評を担当するのは河合塾の小論文講師・加賀健司さんです。

 今回は「質より量」派である青原さんの本音に近いお題だったということもあってか、文章運びはスムーズで、読みやすさも初回よりアップしています。一読して、納得感もあります。

 初回のお題は、青原さんの考えとは違う「量より質」というお題で文章を書いてもらったわけですが、一つひとつの表現や動作の意味を思考することの大事さに言及しており、はっとさせられました。例えば、茶道の所作もそうですよね。見よう見まねで形だけ何度繰り返しても上達しない世界というのはあります。所作に込められた意味を知り、考えをめぐらせてこそ、茶道の本質に近づけるのだと思います。

 そして、2回目となる今回ですが。

 「体が覚えるまで繰り返す」大事さというのは、確かに物事の基本ですよね。しかし、もし正しくない方向性で練習を積み重ねていたとしたら。それが身についてしまい、間違いに気付いたときは修正がきかないなんてことになったとしたら――。「質」派の立場からは、反論も考えられそうです。

 小論文は、読み手を「説得」する文章でもあり、「対話」する文章でもあります。自らの考えを述べるだけでなく、逆の立場から出てくるであろう反論まで視野に入れた立論ができるかどうか。これが完成度を左右します。

 初回は、執筆に際して青原さんがまず自分自身を「説得」する必要があったからこそ、悩んだ形跡はみえるものの、光る小論文になっていました。今回は自分の意見と同じお題ということもあり、すらすらと書けたのではないでしょうか。でも、そこにわずかな油断も生じたかも知れませんね。

 青原さんはおそらく天才型のアイドルなのだと思います。「やるべきこと」が直感でわかる。「客席からの見え方」が常にイメージできている。だから本人は単純に練習時間を積み上げているつもりでも、実際には繊細な思考や観察力が働き、練習を正しい方向へと導いているのだと感じられます。

 そのように、自分の無意識の下にあるものを引き出せていれば、より説得力ある「質より量」論が書けたかも知れません。さあ、次がラスト。1~2回目の学びを全てぶつけて下さい!

【感想】練習は正解の選択肢を増やしてくれる だから… 青原優花さん

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青原優花さん

 あおばら・ゆか 2007年、大阪府生まれ。愛称ゆかたん。昨年1月から活動を始めたNMB48の「9期生」。姉の和花さんとともに加入した。特技は絵を描くこと、犬のものまね(喜怒哀楽を表現)。夢は「太陽みたいにキラキラしたアイドル」。

 今回はやけにすらすら書けると感じてはいたのです。もしかして、初回より文章力がアップしたのかな、と一瞬思ってしまった。現実は甘くありませんでした。

 「練習は質より量である」という私の基本的な考えに近いお題だからすらすら書けただけで、内容は普段思っていることの羅列になってしまいました。「量より質」派の方からの反論を想定して書くべきでした。

 そもそも、前回の小論文で「実は、量より質じゃない?」と小さな声でささやきかけてくるもう一人の自分がいることに気付いていたのに、今回はその子の声にじっくり耳を傾けずに勢いで書いてしまった。悔しいけれど、今思うとそういうことだと感じます。

 私の前に「小論文編」を担当した田中美空ちゃんが小論文の中で「大きく踊るか、丁寧に踊るか」で悩んでいましたが、その悩み、「私もわかる!」と思って読んでいました。美空ちゃんが迷っていたように、舞台表現で正解と間違いを線引きするのは難しいです。

 お客さん目線での正解もあれば、プロのダンサーさん目線での正解もある。その日の劇場の雰囲気もある。正解と間違いがきれいに分かれているのではなく、日により場所により、何種類もの正解があるのかもと思っています。

 だから私は、たくさん練習したことを後から軌道修正するはめになっても、その前に練習した表現が無駄になったとは捉えず、「ふふ、表現の引き出しが増えた」とプラスに考えてしまう方です。

前に進んでいるから方向を変えられる あるユニット曲での経験

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青原優花さん

 先日、年上の大先輩メンバーと2人で「過ち」というユニット曲をしました。大人同士の男女が、結ばれない運命を淡々と受け入れる。私自身はそんな世界観の曲と解釈して練習を積み上げ、これまでの劇場公演でも演じてきた曲です。

 でも、その日はリハで「二人の年齢差が生きていない」と指摘され、ハッとしました。

 その大先輩と二人で話し合い、「この曲の歌詞は、世慣れしている大人どうしの会話として進んでいくけれど、今回は、年の差があるカップルの恋の終わりをうたったものとして再解釈してみよう」ということで意見が一致しました。年下の私はせいいっぱい背伸びして、大人ぶって別れの言葉を口にしてみるけれど、本当の気持ちはそこにはない、という想定です。

 本番では、あえて幼い感じを出し、大人との恋にうっかり足を踏み入れてしまった若者の傷心を表現する方向に振り切りました。歌詞を再解釈し、ふだんやっている表現を一度捨て、方向性を切り替えたことになります。

 私自身にとっても大きなチャレンジでしたが、幸いなことに、お客さんの反応はとても好意的で、とてもほっとしました。

 このときの経験で感じたことがあります。

 それは、練習によって身につけた自信は、不測の事態に直面しても自分の判断や表現の工夫を後押ししてくれるということです。

 船は走り続けていないと、かじも切れませんよね。人も同じだと思うんです。スタート地点で考え込むのではなく、まずはどんどん動かないと成長はない、ということを……。

 練習を反復すればするほど、自分自身の動きを冷静に見つめ直したり、周りの動きを観察したりする余裕ができます。「ここはこういう表現もできるな」「表情をこうしてみようか」と考えるゆとりが生まれます。

 だから、練習は間違いをゼロにするためというより、「正解の選択肢」を増やすために大切なんだと思います。

 そのあたりを書き込めていたら、よかったのかも知れませんね。「量より質だ」と考えるもう一人の私を奥の部屋から呼び出して話を聞くべきでした。そこが反省点です。

 うーん。こうやって加賀先生と対話した後でなら、色々、考えの根拠が言葉としてわいてくるんですよ。自分自身との対話が一番難しいのかも、ですね。

読者プレゼント企画 「とけるかな?」

 犬が大好きな青原さん。犬の…

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