政治的主張を訴えるデモと、多数の人に大きな音で音楽を届けるフェス――。この二つは「人が集まる場」という共通点があり、「デモはもっと楽しくフェス化したほうがいい」と主張する人がいる。

 フェスやデモの運営に関わる、大久保青志さん(73)だ。

1984年8月4日に日比谷野外音楽堂で開かれた第1回アトミック・カフェ・ミュージック・フェスティバルで、パフォーマンスとして高さ7メートルの照明用イントレから飛び降り、左足を骨折しながらも歌い続けた尾崎豊さん=大久保青志さん提供

雑誌創刊も国会議員秘書も

 音楽雑誌「ロッキング・オン」の創刊メンバー。ロックミュージシャンの故・内田裕也さんのマネジャーや、社民党の党首だった故・土井たか子氏の秘書を務めた。都議の経験もある。揺れ動く人生に見えるが、原点は1969年にある。

 高校2年だった冬、東大の学生らが安田講堂に立てこもる様子を報道で知った。理想に向かおうとする大学生の姿に感銘を受けた。

 自身も大学生になり、反戦運動にのめり込んだ。そのとき、よく聴いていたのがロック。既存体制への反骨心を感じ取った。特に、ベトナム反戦を訴えたニール・ヤングが好きだった。

 でも、世の中にあふれるロッ…

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