13日開幕の大阪・関西万博を控え、万博誘致を主導した松井一郎・前大阪市長(61)が朝日新聞の取材に応じた。万博への関心については「開幕後は熱量が関西以外にも広まっていく」と強調。閉幕後にシンボルの大屋根リングを全て残すことは「現実的に難しい」と語った。

インタビューに答える松井一郎氏=2025年4月2日午後、大阪市北区、伊藤進之介撮影

 ――2014年に当時の橋下徹大阪市長と松井知事が誘致を打ち出した万博が開幕する。

 当初は「夢物語やろ」というのが大体の雰囲気だった。「できるわけがない」と。僕自身、作家の堺屋太一さんと話してこの構想が出た時は懐疑的な部分もあった。

 1970年の大阪万博は国威発揚の展示型の万博。高度経済成長期の中で、世界でまだ知られていなかった日本のもの作りの力を世界に見てもらおうとした。でも今の日本はもうそういう状況ではない。ただ、2015年のミラノ万博を視察してね、博覧会国際事務局(BIE)の事務局長から「課題を解決する、新たな万博を作ろう」と言われた時に、これは日本でやれるんじゃないかと感じた。その分野がライフサイエンスだと思った。

松井氏は2003年の大阪府議選で初当選し、11年の知事、大阪市長のダブル選を経て知事に就任。大阪市長だった橋下氏とともに万博の大阪誘致を打ち出し、会場に同市の人工島・夢洲(ゆめしま)を選定した。18年には万博の大阪開催が決定。19年の知事、市長ダブル選で市長に転じ、23年4月に任期満了をもって政界を引退した。

 ――会場の選定では、大阪万博の舞台だった万博記念公園(吹田市)や、1990年に「国際花と緑の博覧会」が開催された鶴見緑地(大阪市鶴見区、守口市)などが候補地に挙がっていたが、なぜ最終的に夢洲を選んだのか。

 すでにある公園を全部潰してもう一度会場を作るというのは物理的に無理だ。一方、世界の都市でベイエリアは成長の中心的役割を担っているのに、夢洲はにぎわう場所になっていなかった。有効な資産につくり替えていくと、僕が知事になった時から大阪府市の成長戦略の中で位置づけた。IR(カジノを含む統合型リゾート)とともに大阪のベイエリアを世界に発信していくための一つのイベントとして、万博は最適だと考えた。

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 ――IRと万博をセットにす…

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