トランプ米政権の追加関税措置を巡る日米協議が16日、行われました。今後の交渉次第では、高関税政策が世界の貿易量を減らし、経済に悪影響が出ることが懸念されています。防衛研究所の小野圭司主任研究官は「1929年から30年代にかけて起きた世界大恐慌が、第2次世界大戦につながったような事態には至らない」として、その理由を語ります。
――世界大恐慌はどうして起きたのですか。
1929年10月24日(暗黒の木曜日)に発生したニューヨーク・ウォール街の株式取引所での株価暴落から、銀行・企業の倒産、失業が続きました。このため、世界の貿易量が急激に減少し、各国が輸出を促進するために「(当時、固定相場制だった)通貨の切り下げ競争」が発生します。米国は3年間でGNP(国民総生産)が6割以下になってしまいました。
各国はこの事態を切り抜けるため、自国と植民地を囲い込む保護主義に走ります。これは広大な植民地や国内市場を持っている国が有利でした。日本は朝鮮半島や台湾だけでは不況を切り抜けられず、市場を求めて中国に進出します。盧溝橋事件によって日中戦争が始まった37年から39年にかけ、日本国内は好景気に沸き、国民も戦争を支持しました。
米国ではニューディール政策が実施されますが、景気回復で大成果を上げることができませんでした。大恐慌の痛手から米国経済を本格的に回復させたのは、1939年に欧州大陸で始まる第2次世界大戦で急増した欧州向け軍需品の生産です。
一方、第1次世界大戦での敗戦で領土と植民地を失ったドイツは苦境に追い込まれました。このころドイツでは、「生存圏(東欧はドイツの生命線)」という地政学的な思想が広まり、旧チェコスロバキアやオーストリア、ポーランドに進出します。さらに穀物資源があるウクライナ、天然資源の豊富なソ連に進出しようとしました。
ヒトラーは人種政策によって、スラブ民族の絶滅を目指しましたが、ナチスの経済ブレーンは自給自足経済圏構築のための東方進出を支持していました。
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ウクライナにとどまらず、パレスチナ情勢や台湾、北朝鮮、サイバー空間、地球規模の気候変動と世界各地で安全保障が揺れています。現場で何が起き、私たちの生活にどう影響するのか。のべ340人以上の国内外の識者へのインタビューを連載でお届けします。
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