世界文化遺産に登録されている富山県南砺市の五箇山・相倉(あいのくら)合掌造り集落で、最も古くから営業していた民宿「勇助」が今月末で幕を閉じる。今後は宿泊客は受け入れず、宿2階にある展示館のみ、営業する。経営者の池端滋さん(82)は「年齢的に厳しくなった。楽しい出会いばかりでした。みなさんに感謝したい」と振り返った。
勇助のかやぶき屋根は、周囲より、ひときわ大きい。集落の入り口近くにあり、今月27日にはインバウンド客が次々、見学に訪れて滋さんの説明に聴き入っていた。
開業から58年。この宿で、皇族、ファッション雑誌「an・an」「non・no」を片手に巡るアンノン族、修学旅行生、外国人と多くの客をもてなしてきた。
民宿は、滋さんの父貞汪(さだひろ)さんと母せきさん(いずれも故人)が1967年に始めた。庶民の山村生活の姿を伝える合掌造り集落として70年に国の史跡に指定される前だったが、観光客が増えつつあった。
貞汪さんが区長を務めていたことや、1868(明治元)年築の住居が集落で最も大きかったこともあり、当時の平村役場から、「民宿をやってみませんか」と相談されたことが開業のきっかけという。勇助は、屋号から付けた。
開業後しばらくは1日20~30人を受け入れ、「(ファッション雑誌名から)アンノン族と言われる若い女性のグループや社員旅行のお客さんが多かった」。やがて修学旅行生も迎えるようになると、ほかに民宿を始めた集落の十数軒に分散して宿泊した。滋さんは「埼玉のある私立高校は朝食前、野球部や柔道部がユニホームや道着姿で集落内をランニングしていてびっくりしたことがある」と懐かしむ。
五箇山で生まれ育った滋さんは、10代後半~40代の多くを東京や富山市で過ごしたが、父が亡くなったこともあり、51歳の時に帰郷し、民宿を引き継いだ。それからまもない1995年12月、相倉集落と10キロほど離れた菅沼集落、岐阜県白川村の白川郷の合掌造り集落がユネスコ(国連教育科学文化機関)の世界文化遺産に登録された。
登録後は、さらに人が増えた。「小泉純一郎首相、外交官、宇宙飛行士、芸能人、いろんな方が寄ってくれました」。皇族もたびたび訪れた。
料理は、主に妻の夫次子(ふじこ)さん(81)がつくり、地元の山菜、イワナなどの川魚を食卓に並べた。「上手につくらんと、食べてくれん。でも、みんな『おいしい、おいしい』と食べてくれた」と夫次子さんは笑う。夜は、池端さんも入って居間にあるいろりを観光客と囲み、話をするのが楽しみだったという。
かつて宿泊してくれたお客さんが再訪してくれることもある。「この部屋に泊まったんだよ、と子どもや孫に説明している姿を見るのは本当にうれしかった」と滋さん。
夫婦で頑張ってきたが、体力的にきつくなり、10年ほど前から、宿泊客を1組(2~4人)に限定。世界遺産登録30年の節目を迎え、「そろそろ、やめてもいい時期かな」と思ったという。
民宿の経営と並行して、写真家でもある滋さんは、相倉の四季を写真集にして出版。2012年には五箇山で盛んだった養蚕や冠婚葬祭の様子を伝えるために道具や資料を集めて2階を展示館にして、観光客に地元の歴史や文化を伝えてきた。
いま、相倉集落にはかやぶきの住居が20棟残る。十数軒あった民宿は、勇助の終了で5軒に。ただ、展示館の営業は続けるといい、「五箇山の文化を伝える責任があると思っています」と話す。
新型コロナの影響もほぼ無くなり、世界各国から観光客が訪れている。「外国人は日本の文化に興味津々です。ガイドを通じてですが、丁寧に伝えていきます」