「先生、なんで来てるんですか!」。仁(じん)(18)は記者を見るなり、そう声をかけてきた。
大阪府立大阪わかば高校(大阪市生野区)へ初めて取材に行った、昨年10月の文化祭。仁は水夫風の衣装を着て、他のフィリピンルーツの生徒と舞台発表の準備をしていた。中学の3年間、記者がボランティアをしている市内の学習教室に通っていたので、以前から顔見知りなのだ。
仲間と舞台に上がる仁に、客席から「ジーン」と歓声が飛ぶ。フィリピン伝統のバンブーダンスを軽やかに舞った後は、大人びたヒップホップを踊ってみせた。
仁は中学1年のとき、母親の故郷フィリピンから大阪市へ移り住んだ。自宅で母親とひらがなの練習をした後、地元の中学に通い始めたという。
その夏、仁は中央区で市民団体が外国ルーツの子ども向けに開く「Minamiこども教室」に来た。初日、ボランティアだった記者が仁の担当になり、数学の宿題をみた。日本語での意思疎通は難しく、学習面のつまずきが多くあった。緊張で表情も硬かった。
それでも仁は毎週教室に通い、やんちゃな笑顔を少しずつ見せるようになった。故郷の記憶も、日本語を探りつつ語るようになった。冬には、仁の通う中学の教頭が教室に来て、「学校でも自分から話すようになった」と伝えてくれた。
高校での変化 「昔は恥ずかしかった」
高校受験前は週2日、元中学教員のスタッフらが指導して、わかば高に合格。進学後も時折、教室に顔を見せ、「友達できました」「バスケ部楽しいです」と高校での話を聞かせてくれた。
昨秋、わかば高で再会した仁…