森宏明の「Bella vita!」
来年3月に開かれるミラノ・コルティナ冬季パラリンピックのノルディックスキー日本代表(距離座位)に内定している森宏明です。朝日新聞社で社員として働きながら、競技をしています。
このコラムでは私の半生を振り返り、自分のことやパラスポーツのことを知ってもらえればと思います。
「Bella vita」はイタリア語で「美しき人生」という意味です。涙あり、笑いあり、挑戦の日々ありと、彩りに満ちた森宏明の人生について随時、紹介します。
まずは野球漬けだった子どものころの話です。
幼少期は「手をつないでいられない子だった」と母から聞いています。私は長男だったので両親は「子どもはそんなものか」と思っていたようですが、4歳下の弟は、親の手をふりほどいて走りだしてしまう子ではなかったそうです。
活発な私が野球と出会ったのは小学1年生のときでした。出身は東京都板橋区。近所には、野球場が点在する荒川河川敷がありました。
ある日、父と散歩していると友だちが野球をしているところに出くわしました。
「一緒にやろうよ」という誘いを受けて「すぐにでもやりたい」と思いましたが、両親からは「1年待て」と。こちらの本気度をみていたのでしょう。
すぐに諦めると思っていたようですが、2年生になっても私の思いは変わらなかった。「やりたい」と言い続けたことで認めてもらいました。
地元の軟式野球の有力チーム「高島エイト」の体験会に参加しました。
そこで借りたグラブの手触りや、捕球した時の手の痛み、グラウンドの草のにおい、金属バットが白球をはじく甲高い音に気持ちが高ぶり、すぐに夢中になりました。
当初は主に投手をやっていました。野球の練習は週末と火曜日にあり、他の日は体操、水泳、そろばん、書道を習っていました。
いまでいうマルチスポーツでしょうか。さまざまなコミュニティーに顔を出すのは楽しくて、いい気分転換になっていたと思います。
中学に進学する時に野球1本にしぼりました。関東近郊から有力選手が集まる硬式野球の「東練馬リトルシニア」に入りました。
部員は1学年で50人ほど。すでに身長が180センチの選手もいて、大人と子どもで野球をやっているような感覚になりました。
人生で初めての挫折を、この時に味わいました。
投手として活躍する道は早々…