「55歳になったら会社を辞めて、コーヒー屋でもしようかね」
佐賀県多久市に住む江口浩二さん(57)は、50歳を過ぎたころから、家族にそう言い続けてきた。
整備士として入ったトラック販売会社では営業職も経験し、勤続30年を超えていた。
コーヒーを焙煎(ばいせん)したり、ダッチオーブンで料理をしたりと、多趣味で凝り性な浩二さん。
早めにリタイアして、趣味を仕事にできたら楽しいだろうなぁ。
そんな漠然とした思いを、冗談半分で口にしていたのだ。
「コーヒーだけじゃなくて、他にも何か出さなきゃじゃない?」
大学生だった娘の穂花さんがそう言って、近隣の人気カフェを教えてくれた。
家族で車に乗り込んで福岡まで足を延ばし、カフェ巡りをしたこともある。
振り返ってみると、本気で会社を辞めたいわけでも、カフェを開きたいわけでもなかった。
3年前、そんな浩二さんの人生を大きく変える出来事があった。
穂花さんが24歳の若さで亡くなったのだ。
大学卒業を控えたころ、下腹部の張りを訴えて病院へ。
片方の卵巣に腫れが見つかり、摘出手術を受けることになった。
ホテルへの就職が決まっていたが、事情を説明して半年遅れで働くことに。
1年ほど勤務したころ、定期検診で卵巣がんと診断されて「余命3カ月」と宣告された。
浩二さんは「絶対に治すから」と、最新の治療法を調べ、できる限りのことを試みた。
だが、次第に歩くことも難しくなり、食事の量も減っていった。
亡くなる1カ月ほど前、穂花さんの友人たちが「撮影会」を企画してくれた。
カメラマンを呼び、友人たちと5人でドレスを着て、半日かけていろんなポーズで撮影。
「たくさん撮影した中からベストショットを選んで、アルバムを作ろう」
その写真を選ぶため、江口家に集まる約束をしていた2022年8月4日の早朝。
穂花さんは自宅のソファで、眠るようにして亡くなっていた。
妻の美千代さん(53)が気づき、駆けつけた浩二さんは心肺蘇生を試みた。
だが、娘の穏やかな表情を見て、手をとめた。
「穂花はがんばったけん、もうよかろう」
友人たちに亡くなったことを伝えると、すぐに集まってくれた。
会社を休んで、通夜から葬儀まで付き添ってくれた。
メイクが得意な友人が穂花さんに化粧を施し、代わる代わる枕元で思い出話をしてくれた。
夜中に一人で駆けつけて、穂花さんの前で泣き続けた男性もいた。
彼氏かと思って話しかけると、大学の後輩だという。
「穂花さんと同い年なんですが、2年遅れで大学に入ったんです。輪に入れずにいた時に声をかけてもらって……」
おかげで大学生活を楽しめて、望んだ職業に就くことができた、と教えてくれた。
娘はこんなに多くの人から慕われていたのか。
稲穂のように実るほどにこうべを垂れ、花のように誰からも好かれる存在であってほしい。
そんな思いを込めて名付けた娘の24年間を思い、夫婦で泣いた。
仕事を続ける気力を失って
看護のために9月末まで休みをとっていた浩二さん。
復帰したものの、仕事を続ける気力を失っていた。
「会社、辞めてもよかか?」
美千代さんに相談すると、「よかよ」と言ってくれた。
いざとなったら大型免許を生かしてトラック運転手になろう、と思っていた。
そんな時、あることを思い出…